自分が出馬した選挙期間の終盤、街頭演説で「とにかく投票に行きましょう」という訴えをしていました。
その中で若い有権者から、「間違ったことをしたくない」「無知だと思われたくない」、だから政治の話はしにくいし、選挙に行きにくいのだという話の相談に乗っている間にいろいろと考えたのですが「サイコロで投票先を決めたとしてもその投票には意味がある」、という考えに至りました。
その件についてXでポストしてから1ヶ月近く空いてしまいましたが、その時に思い至った点を思い返しながら「ランダム投票(無作為投票)」の意義を整理してみます。
「ランダムに選んでもいいので、とにかく投票所に足を運びましょう」
(もちろん、少しでも自分で良いと思う候補者がいたらその人に投票しましょう)
ポイント | なぜ良いのか |
---|---|
① 将来の投票率が上がる | 「投票行動は習慣化する」という実証研究があり、最初の一票が次回以降の参加率を押し上げる。 |
② 候補者が“社会全体”を意識しやすくなる | 票の読みが難しくなるため、特定層だけでなく社会全体から支持を集める政策を掲げる動機づけが生まれ、全体最適に意識が向かう。 |
③ 選挙の堅牢性を高める | 認知戦やマイクロターゲティングといった、特定少数を狙い撃ちにして、時にデマや錯誤を用いて投票行動を操作しようとする攻撃の効率性を下げる働きがある。 |
注:「投票率が高いほど良い社会なのか」、については本稿の射程外です。ここでは「参加の裾野が広いほど民主的正統性は増す」という一般的前提を置きます。(この件についても機会があれば語りたいと思います)
このポストをした際、「神聖なる1票をサイコロで決めるなどけしからん」「政治家が民主主義を愚弄するのか」などのお叱りのお言葉を頂きました。しかし、私は論理的な考察が及ぶ範囲に聖域はないという信条のため、心苦しいですがこのような声に寄り添えないことを予め宣言しておきます。
もちろん、政治的熟慮が重要なことに異論はありません。ですが、民主主義自体が実用的な制度である以上、理想と現実について考察することは必要なことだと考えます。
そのギャップを埋める補助線として「ランダム投票」を考えることは、民主主義を下支えする実用的な議論だと私は考えています。
米国の統計データを用いたFujiwara, Meng & Vogl (2016) の研究では、悪天候で投票率が1ポイント下がると、次の大統領選でも0.7–0.9ポイント低下する「投票習慣形成効果」が確認されています。逆に言えば、一度投票すれば次回も投票に行く確率が高くなるということです。
また、日本でも現在の高齢者ほど投票率が高いのは、この世代が若い時から投票率が高かったことが影響しているという示唆があります(厳密な検証があるわけではありませんが)。